やはり最後は
父の定期健診の日、もう来なくていいと言われているのだけれど、ドクターのことが好きすぎて通っている。
先生も忙しいんだからさ、と言っても予約をとりつけて次も行く気まんまんだ。
以前も書いたのだけれど、父にとってそのドクターは神なのだ。
ずいぶん前、勤務先の健康診断でいつもひっかからなかったのに、全く同じ診療機関でその年は末期がんが見つかった。
そこでこれからどんな治療をしていくか、と紹介を受けた病院に行ってみたら、そこのドクターは手の施しようがない、と。
でも、と考えて「あいつなら切れるかもしれない」
そのドクターと同期でゼミではいつも隣の席に座っていたあいつ、とはE先生のことなのだが、その方ならと紹介状を書いてくださった。
「私には無理ですが、彼なら手術できるかもしれません。」
父が向かったのは、父の父、つまり私にとって祖父を見送った病院であった。
親子二代、ここで死ぬのか…などと考えていた父。
患部の画像をみたE先生は『私が切ります。私が治しますからね。』とこともなげに言った。
たぶん、その時80%くらいは癒されたのではないか…。
絶望と死は隣り合わせ、また希望と生も隣り合わせなのかなと。
そして、その後肺やら肝臓やらに転移が見受けられても、E先生に会うだけで癒され、今はただの健康な爺さんだ。
先日のワクチン副反応っぽい体調不良も「100%完治した!!」と言っていた。
これもE先生にあったからであろうか。
現代の赤ひげ先生か、はたまた心医ホジュンか、E先生にはびっくりだ。
医療の進歩もさることながら、やはり最後はドクターか。