初夏のような日差しに
母のお財布の中に葉っぱの形をした紙が入っている。
何やら文字が…。
が、やがて忘れ去られた。
月日がたった今日、私は紙袋を探していた。
納戸の紙袋(買い物したときにもらうちょっといい紙の)をさらっていた。
おっこれはちょうどいいね。
まちも広めだし。
見つけたその袋の中に、なんとまたあの葉っぱの形が入っていたのだ。
法越道真と書かれている。
財布に入っていたものとは文言が違うが、法越…はお名前か。
ネットでみると、とある駅前で托鉢している僧侶にお金を渡すと引き換えにもらえるらしい。
写真もあったが同じものだった。
托鉢というのは、喜捨を「させる」ということで、お金を渡した方が「喜捨」をさせていただきありがとうございます、ということらしいのだ。
決して僧侶の方に「これでお饅頭でも食べてください」と、こちらがお恵みするのではないらしい。
正しく使われる、そのためのお金を…マネロンの弱だわな。
なぜ家に2枚あったのか不明。
喜んで捨てたお金のことは気にしてはいけない、というのが本来の喜捨の意味らしい。
なので、修行としての托鉢はお金がない家をまわることだとか。
こちらはヤマザクラなので、満開ではなかったけれど、毎年来ているせいで、ハタのついた桜も容易にみつけることができた。
人手の多かった今日、夏のような暑さ。
明日も桜だより。
« 2024の桜も観られた | トップページ | 雨に濡れても »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- お手紙(2025.02.11)
- BOSSA NOVA(2025.02.09)
- 黒と紺(2025.02.05)
- tax(2025.02.01)
- 鰯の頭も信心から(2025.01.31)
コメント