怪奇譚 人から聞いた話編
怪奇譚(に限らず)コメント欄にて、怖い話、不思議な話をおしゃべりして頂いています。
ご自身での体験はもとより、ご家族やお友達から聞いた話でも。
コメントは、反映まで時間がかかりますのでご了承ください。
さて、テレビでやるような、行った人全員が見る、聞く、っていうのはちょっとありえないと思うんですよね。
ましてやビデオとか撮りながら、そこに映る…とか。
今回も、以前ご紹介したものです。
中学生の頃、塾の先生から聞きました(何しに塾へ?? )
前と詳細が違ったらごめんなさい。
肝のところは矛盾ないはず。
~☆~☆~
先生の友達、A君とB君(大学生)がある夜、屋台で飲んでいると、隣におじいさんがひとり手酌で飲んでいたのが見えました。
なんか…うざい
正直そう思ったそうです。
今まであったこともないし、こちらに何か言ってくるわけでもない。
ずいぶんと飲んだ二人は、近所のC君のアパートに泊まることにしました。
A君、B君、C君とせまいアパートに川の字になって寝ます。
小さな台所のシンクに向かって三人の足が伸びています。
シンクの上は小さな窓があり、開けてあった窓から夜空がみえていたそうです。
A君が夜中にふと目をさましました。
何気なく、シンクの上の小窓に目をむけると、誰かが部屋の中をじっと覗いています。
それは、さっき隣で飲んでいたおじいさんだったと気づくまで時間はかかりません。
でも、なぜ?? 俺酔ってるのかな、寝ぼけているのかな…。
そのまま又眠りに落ちたA君。
次の朝C君が、夜中に知らない人があの窓からじっと見ていた、という話を二人にしましたが、B君だけはみていませんでした。
A君とB君は窓から見ていたおじいさんの胸には、大昔の幼稚園生のように白い布の名札がついていたよね、と。
そしてそこにはおじいさんを見ていない、真ん中で寝ていたB君の名前が書かれていたんだとか。
それからすぐ、B君は乗っていたバイクがガードレールに衝突、帰らぬ人となったそうです。
あれが俗にいう死神だったのだろうか…とA君とC君は思ったようです。
ここまで書いたら、mikiの部屋で聞いたことのない音が、パチバチバチと3回なりました。
家族はリビングにいます。
隣の家からでもないようです。
左後ろからしました。
「mikiログ的怪奇譚~百ものがたり~」カテゴリの記事
- 怪奇譚 人から聞いた話編(2022.08.09)
- 怪奇譚 子供時代編(超ライト)(2022.08.26)
- 会社怪奇譚 アフターファイブ編(ライト)(2022.08.04)
- 会社怪奇譚あれこれ(ライト)(2022.07.20)
- 怪奇譚リターンズ (2022.07.19)
さっそくググった。
「すっとこどっこい」は、東京とその周辺で行われる祭礼で山車などの上で奏される馬鹿囃子(ばかばやし)の囃子詞(はやしことば)から生まれた言葉。馬鹿囃子とは、おかめ、ひょっとこなどの面をつけた馬鹿踊りがつくところからそう呼ばれるようになった。つまりお祭り男っすね。
その意味は、「裸の恰好でどこに行くんだ?」と醜い男を侮辱してののしるときに使われていたようで、「バカやろー!」とか「マヌケ!」という意味。
今も「目下の者がミスした時」などに使われることがあるとのことでつ。
ということで、新しいスレッドに来たのでさっそく臭い付け。mikiさんとは付き合いが長いけど、過激なコメントと判断されたら遠慮なくスルーお願いします。無粋な邪魔が入っても想いは変わらない。。
投稿: 「すっとこどっこい」ってなんすか? | 2022年8月 9日 (火) 20:20
久々の広いスレッド!
なので、のびのびと長編を行きますね。
ただ、無駄に長いので途中で区切りを入れます。長いとだれも読んでくれないので。。。
ぼくが彼女に会ったのは、まだIBMが個人用のPCを販売していた時代。1990年代の話だ。彼女の名は”淑恵”。
ゲリラ豪雨に見舞われた真夏の午後。ぼくは上野公園を突っ切って上野駅に急いでいた。バケツをひっくり返したような雨で、傘をさしていてもほとんど役に立たず、足元はびしょぬれだった。
目の前を野暮ったい格好の一人の女性が、傘をささずにずぶぬれになりながら歩いていた。・・・どこの埼玉の田舎もんだろう。服装は1980年代、つまり10年も前の格好をしている。
さりげなく、後ろから傘を差しだしたら、にっこりと彼女は笑った。えらが張った顔はお世辞にも美人とは言えないが、目がクリクリっとしてて愛らしい。
彼女は日本語を話せなかった。台湾の女性だった。野暮ったい姿に似合わず、IBMのキャリアウーマンだった。
続く。
投稿: すっとこどっこい | 2022年8月 9日 (火) 20:23
豪雨の中、とりあえず二人で上野駅に急いだ。駅にたどり着いて二人で顔を見合わせて思わず笑ってしまった。もうこれ以上ないぐらい、二人ともびしょぬれ。彼女の着ていた黒のスカートもそしてサンダルもびしょびしょ。薄いオレンジ色のTシャツは肌に張り付いて、下着のラインが浮き出て見える。
そのまま濡れたままで電車に乗ろうものなら、車内の冷房で体が凍えてしまう。なので、しばらく駅のベンチで二人とも服を乾かすことにした。
彼女は、台湾からの旅行者だった。そしてIBMの社員だという彼女の英語は達者だった。ベンチで服が乾くまでの間、彼女が話してくれたこと。
彼女の亡くなった父親の話だ。遺品を整理していたら、大切に箱にしまわれた古い写真と投函されなかった手紙がでてきたという。その手紙には彼の初恋(?)の情がつづられ、そしてセピア色のモノクロ写真には、浴衣を着た若い女性の姿があった。
彼女が見せてくれたその写真。どこかのお祭りなのだろうか。神社の境内の人だかりの中に、漫画のサザエさんのような髪型の女性が写っている。たぶん、人々の服装からすると、昭和20年代の日本。戦争が終わって、そんなに月日がたっていないような印象だ。
・・・お父さんの初恋の人なの。
と彼女は言う。
続く。
投稿: すっとこどっこい | 2022年8月 9日 (火) 20:24
1945年、ポツダム宣言受諾による日本の敗戦に伴い、外地に在留していた日本人の引き揚げ事業が始まった。
台湾では、日本人が危害を加えられたり不安を感じることはなかったものの、台湾統治の中核は陳儀率いる行政長官公署による大陸系中国人に握られ、大陸の彼らは日本軍の残留を嫌った。
その年の12月から、軍人軍属16万人、民間人32万人、合計48万人の日本への帰還が始まった。台湾各地に住んでいた台湾在留日本人は、基隆、高雄、花蓮港のいずれかの「集中営」に集められ、これらの港から乗船。
わずか2ヵ月の第一次帰還で、延べ212隻の輸送船により、23万人近くの日本人が帰還した。
恐らく彼女の写真にあるモノクロ写真の浴衣を着た若い女性は、帰還した台湾在留日本人の一人だったのだろう。
シュフェン(淑恵)は、その女性に逢ってみたいとつぶやいた。父親がひとりの女性をずっと心に秘めて生きてきたその人生を、写真の女性に伝えたいという。
上野周辺の神社なんて、上野東照宮をはじめ相当数ある。たとえ、写真でその神社が特定できたとしても、その先の女性への手掛かりは全くない。。
まるで「仲夏夜之梦」のような話だ。
続く。
投稿: すっとこどっこい | 2022年8月 9日 (火) 20:25
台湾の怪談は、日本とは似ていても少し違う。台湾では旧暦の7月が『鬼月』と呼ばれ、あの世の霊たちがこの世に戻ってくる期間とされている。今年は8月8日から。燃え盛る夏のはじまり・・・
シュフェンを漢字で書けば淑恵。彼女は達筆な字でそう書いた。・・・日本語じゃん。英語で説明されれば、なおさら、「淑恵」の文字は変な冗談にしか見えない。
と、彼女の話はここまで。その夜、ぼくは夢を見た。たぶん、シュフェンに聞いた話が心の奥深くに残り、そんな夢を見ることになったのだろう。
夢の中で、ぼくは敗戦翌年の台湾からの引き揚げ船の中にいた。船は間もなく出航。船内は多くの引き揚げ者ですし詰め。船酔いしそうなほど、きつい重油の臭いが船底にこもっていた。
戦中、台湾の日本人は総じて裕福な暮らしだった。空襲もあったが、ひもじい思いはしなかった。
終戦の夏も台湾の学校は続いた。そして日本人の教師に代わって、中国や台湾の先生が赴任し、北京語の語学中心の授業となった。1学年の生徒約100人のうち、その7割が日本人だったが徐々に登校する人は減っていった。
夢の中で、その台湾の先生はなぜかシュフェンだった。クリクリっとした目が、コロコロと表情を変え、彼女は喜怒哀楽の表情の百貨店だった。一目見るなり、ぼくはシュフェンに恋をした。
台湾からの引き揚げのその日。シュフェン先生は、自分の生徒を見送りに港まで来ていた。ぼくは船べりの人垣をかき分けて、先生の姿をひとめ、目に焼き付けようと船べりに近づこうとした。だが、大勢の人々がそれを阻む。
船べりの多くの人々と押し問答している間に、汽笛が鳴り船は出航。なおも必死に人をかき分けていると、見知らぬ目の前の男からいきなり殴りつけられ、ぶちのめされた。
続く
投稿: すっとこどっこい | 2022年8月 9日 (火) 20:25
満員の台湾からの引き揚げ船の船べりで、見知らぬ目の前の男からいきなり殴りつけられ、ぶちのめされた。
・・・てめえチクショウ!!!
と吠えたところで、ぼくは目が覚めた。
夢ではシュフェン先生の姿を見ることもなく、ぼくは台湾を後にしたわけだ。でも、なんで、こんな変な夢を見ちまったんだろう。真夏の寝苦しい夜だから?
真夏の夜の夢・・・仲夏夜之梦。
♪像龙舌兰酒一样亲吻你的骨头
(骨まで溶けるような ・・・♪)
写真の女性が終戦の年に10代だったとして、1995年の今は、60代後半から70代の前半ということになる。おそらく平凡なおばあちゃんで、日本のどこかで幸せな日々を送っているのだろう。
写真の女性と、シュフェンの父親との関係は想像するしかない。だが、時代に翻弄され、引き裂かれた二人の別離は、身体が引き裂かれるようなつらく悲しいものだったと思う。
再见,今晚我永远不会忘记你们两个
もう一度、夢の中でもいい、シュフェンに逢いたい。
了
・・・ということで、台湾の女性から聞いた話でした。
投稿: すっとこどっこい | 2022年8月 9日 (火) 20:27
こんにちは
ご自身のペースでお願いします。
ななふし様もオフレコで荒らしてごめんなさいと。(オフになってないか)
皆様、悪気はないのです。
ここのところは、政治色が強いコメントとか、いろんなコメントがきて、同じ方なら一度は載せますが、コピペ文章だと同じのがまたきたり…。
目をとおしての公開となりますが、こんな小さなブログの運営も難しいというか、私の力不足で皆さまにご迷惑をかけてしまっているのです。
この駄ブログにきて、つまんないならまだしも、不快になったりしたら、すべて私の責任ですので。
投稿: miki⇨すっとこどっこい様 | 2022年8月 9日 (火) 21:02
あっと言う間にコメント欄に反映されたからびっくりした!
見ての通り「すっとこどっこい」なので、気にしないでください
「裸の恰好」で思い出したけど「裸の心」いいよね。
あいみょん 裸の心↓
https://www.youtube.com/watch?v=yOAwvRmVIyo
投稿: すっとこどっこい | 2022年8月 9日 (火) 22:14