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2021年10月 5日 (火)

番外編

秋も深まって、百物語。

2011の7月から10年も…。

不定期にあげていくのでよろしくお願いします。

tetujin様の異国系はご意思により、コメント欄をご覧くださいね。

えーっとかいわないの。

今日は番外編です。(少し曖昧にしてます…固有名詞とか)

~☆~☆~

私のおかかえ陰陽師Kちゃんに関してはこのブログでよく紹介させて頂いてますが、頼っているのはやっぱり私だけではないようで。

商売にすればいいんじゃね?

なんて。

そんなKちゃんに相談してくるお若い方もけっこういるみたい。

仮にAさん。

Aさんの家の近くには川が流れていて、橋がかかっています。

Aさんは毎日そこを通るのですが、その環境をKちゃんは知りません。

Aさんと話をしていて、Kちゃんにはその川と橋の下に死を感じたみたい。

橋から人が落ちる??

そうじゃないみたいとKちゃんは思いました。

Aさんは橋をチェックするようになりました。

そして数日がすぎ、

Kさーーーん た、たいへんですぅ

血相変えて職場に飛び込んできたAさん。

彼女がお母さんとお買い物帰りに二人で橋を渡った時、橋の下に人がいっぱいいてざわざわしていたのだとか。

なんと、上流から死体が流れてきてその場所にうちあがったんですと。

最初に話をしていた時に亡骸は移動しはじめていたんでしょうか。
000300011_20211005125501
又同じ職場の仮にBさん

この方もお若い方ですが、亡くなったお母さまの夢をみるので何かいいたいのではないか、との事。

もう、完全に鑑定士ですな…。

お若い方の家ですが、Kちゃんには仏壇がみえたみたい。

ここで、仏壇の掃除をしろとか先祖の墓参りをしろ、お母さんが嘆いている…などというのはその辺の似非…。

Kちゃんは、お箸を使って欲しいとお母さんがいってるよ、と。

お箸??

Bさん用に用意してあったみたい。

みたことないです。新しいのですよね。

仏壇の引き出しにはいっているから。

若い人の家に本格的な仏壇があることも知らなかったKちゃんです。

祖母と二人暮らしのBさんは仏壇のひきだしから新しい箸を見つけ、使いだしたのでした。

コールドリーディングなどで予想をつけずに感じたままを話すKちゃん。

過去の話はしみじみ怖いものもあります。

未読の方は是非。



あ、霊力でもしょっちゅうお世話になっています。

2016年の秋、この駄ブログにも書いてありますが、Kちゃんが私の胸が2カ所光っていると。

それからあちこち異変がでてくる私の体。

Kちゃんにいわれたところは白血病細胞による腫脹だったのね。

私だめかな…

いつでも「大丈夫」と言ってくれる。

じゃ…大丈夫ってことで。

 

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mikiログ的怪奇譚~百ものがたり~」カテゴリの記事

コメント

・・・じゃ、絶対大丈夫じゃね?


ところで、外国編って言われてもネタがないっす。( ^ω^)・・・

ということで、「季節外れのSAKURA」番外編。怖くないやつ。


1945年4月のベルリン。第2次世界大戦のヨーロッパ戦線は、いよいよ大詰めを迎えつつあった。戦況は明らかに連合軍側優勢で、だれもがドイツの敗戦を疑わなかった。そうした状況の中で、ヒトラーとごく限られた身内や側近たちは、迫りくるソ連軍の砲火から身を守るため、ドイツ首相官邸の地下にある堅牢な要塞へ退却。ただ一人、客観的な状況判断を下す能力を失いつつあったヒトラーだけが、実現不可能としか思えない大逆転劇の作戦を熱く語り続けていた。

「ちょっと待て、これはSAKURAの話じゃないのか?」
「そうだが」
「なんで、ドイツなんだ?しかも、60年以上も前の話ぢゃないか」
「まぁ、話は最後まで聞け。じきにわかる」
「……そうか」

1945年4月16日、ソ連軍はベルリン占領を目的とするベルリン作戦を発動した。オーデル河を渡河したソ連軍は、ゼーロウ高地でドイツ第の頑強な抵抗にあうも、133ヶ所の渡河点を確保してベルリンに侵攻する準備を開始した。
4月17日、ソ連軍はゼーロウ高地のドイツ軍防衛陣地を破り、18日早朝までに高地を占領し、ミュンヘベルク (Müncheberg) へ向け軍を進めた。19日にはドイツ第9軍の戦線は突破され、ドイツ軍はベルリンなど南へ後退。
翌4月20日。総統誕生日を祝うために、軍とナチス高官が総統官邸に集まった。この日開催された軍事会議で、各種政府機関は即時ベルリンから退去することが決まった。

ベルリン防衛司令部では、ナチス党の役員がさまざまな口実をでっちあげ首都からの退却を願い出ていた。ベルリン防衛司令部は、武器を持てる者は一人もベルリンを離れてはならないと布告していたのだが、実際には2000枚以上の許可証を発行せざるをえなかった。ドイツ軍は圧倒的なソ連軍の火器の前に風前の灯火であった。
ソ連軍の迫るベルリン中央駅にあるメンデルスゾーン・バルトルディ公園では、今から76年前のこの日、咲きかけた老木の八重桜が戦火の風に震えていた。

「なるほど。桜の話になってきたな」
「当然であろうが」
「しかし、なんでsakuraにまつわる話が大戦中のベルリンなんだ」
「だから、それは最後まで聞けと言っている」
「わかった、わかった。続けてくれ」

ということで、全世界もkちゃんも泣いた話の続きは明日。

4月21日には、連合軍の第1機械化軍団がベルリン郊外のヴァイセンゼーに突入し、ベルリン中心部へ向け重砲による砲撃を始めた。翌22日、第3親衛戦車軍と第4親衛戦車軍(4th Tank Army (Soviet Union))がテルトウ運河に到達し、23日には、ベルリン郊外市街地への突入を始める。

この日、ドイツ軍の第LVI装甲軍団の司令官ヘルムート・ヴァイトリング大将が急遽ベルリン防衛軍司令官に任ぜられ、率いる残余部隊をベルリン市街の各所に配置する。しかし、どの師団も定数を下回る寄せ集めであり、50万人近いソ連軍の前に包囲網は狭まっていった。
そして、4月25日、連合軍の第4親衛戦車軍はポツダム郊外へ達し、ついにベルリンは包囲された。

ソ連軍がいつ攻め込んでくるか解らぬ状況で、ベルリン市内は恐怖と絶望に包まれていた。ナチ党員は、降伏すれば処刑されるのは確実であり、1人でも多くのソ連兵を道連れにして死ぬ覚悟だった。ヒトラーはこの時、ドイツの人種、文化、建造物の全てを灰燼に帰するつもりでいた。

その昔、ハイネは滅びゆく古典的イタリア人をみて「悲観的に夢見ながら廃虚の上に坐っている」と言った。純粋であるがゆえに滅びゆく文化を感じての言葉だという。ベルリンもまた、こうした絶望的な状況では、悲観的に夢見る以外になにができたのであろう。

いよいよ、ソ連軍の砲撃が市内に迫ると、市民の多くはベルリン市内のティーアガルテン、フンボルトハイン公園、フリードリヒスハイン公園の3箇所に建てられた高射砲塔や、コンクリート製の大型防空壕、地下鉄の駅構内、下水道など、身を潜められる所にはどこにでも逃げた。だが、ライフラインはすでに断たれていて、死は常に身近な存在だった。
それでも、多くの市民は生き残ることだけを考えていた。白旗を掲げればSSに狙撃され、何もしなければソ連兵に殺されるので、助かる道は米軍に降伏するより外になかった。

地下壕や病院は負傷兵で一杯だった。医薬品も麻酔薬も不足していた為、負傷兵は傷を負ったまま放置された。そこら中に四肢が欠けて骨がむき出しになった兵士や、血まみれで包帯が巻かれた負傷兵や死体が横たわっていた。まさに、ベルリンは地獄と化していたのである。そんな地獄の中を、メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は、けなげにも花を満開にしようとしていた。

「ああ、そうか。日本では戦時中に桜は切り倒されて燃料になったのだが、ドイツはそれをしなかったのだな」
「よく知っているな。そのとおりだ」
「桜が好きでね」
「嘘をつくな。お前は花見なぞしないだろ」
「失礼な。たまには見るぞ。花柄のパ・・」
「黙ってろ。続けるぞ」

続きは明日。。。

tetujin様 こんにちは

出し惜しみしてもね、意味ないんで(圧)
どんどんいきましょう。
冬はより寒くなるような。
皆さんがお待ちです。

みんなが凍り付くようなダジャレは得意なんだが・・・

いよいよ歴史は動きます( ^ω^)・・・

4月29日、親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーが西側連合国に対し降伏を申し出る。終末を覚悟したヒトラーは、エヴァ・ブラウンと結婚。遺書を口述し、政府を大統領のデーニッツと、首相のゲッベルスに委ねた。
翌30日の15時20分、ヒトラーとエヴァは、総統地下壕の居間で自殺する。遺骸は官邸の庭に運び出され、ガソリンを注がれ焼かれた後、砲弾穴へ葬られた。

ドイツ新政府の首相ゲッベルスは、ベルリン守備隊によるソ連軍のベルリン包囲網を突破する作戦を敢行する。最後の最後のあがきだった。しかし、既に包囲網突破は不可能な状態であり、5月1日から2日にかけ、ベルリンの守備隊は降伏。そして、ゲッベルスは妻と子供6人を道連れに自殺。

5月1日にヒトラーの後継者として大統領に指名されたカール・デーニッツは、5月6日に全権委任したアルフレート・ヨードルをランスの連合軍最高司令官アイゼンハワーの司令部に派遣。ソ連軍に包囲されたバルト海沿岸のドイツ東部から避難民を海路ドイツ西部に受け入れるまでの時間的猶予を交渉し、48時間の猶予が与えられ、5月9日零時の発効としてドイツ国防軍全軍の無条件降伏文書に5月7日に署名した。しかし、与えられた時間はあまりにも短く、多くの避難民はソ連軍の手に落ち悲劇的な運命をたどることになった。

ソ連軍の報復は苛烈を極めた。多くの市民が自決を余儀なくされ、多くの女性がソ連兵により陵辱された。夜ごとに女性たちの悲鳴がこだました。
ベルリン在住の女性の6.7%に相当する10万人がソ連兵士による性的暴力の被害者となり、そのうち10%前後が性病に罹ったとされている。レイプされた女性たちは心理的外傷を負い、10万人のうち1万人前後が自殺した。ベルリンばかりではなく、多くのドイツの町や村でも罪のない一般市民が犠牲になった。

さらに、ソ連はベルリンの博物館や、ドイツ各地の博物館、美術館、個人収集品から250万点にも及ぶ絵画、彫刻等の美術品を戦利品として劫掠した。ハインリヒ・シュリーマンの発見した「トロイアの黄金」も劫掠された一つである。この内、約100万点は今なおドイツに返還されていない。

・・・メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は、ドイツの悲惨な状況を哀れむかのように、しずかに花びらの涙を散らしていた。

「おお、ようやく終わりかな」
「まだ、話は終わっていない」
「んで、オチは?」
「この話に『オチ』などない!」


続きは明日。オチはないけど続けますね。( ^ω^)・・・

昨夜の地震で、本棚に腰かけていたバリ島土産のネコが転落し、床に激突したものの負傷はしてないみたい。。。

さて、オチはないけど続けますね~( ^ω^)・・・

ドイツ降伏の翌年の春のことだった。見事に花を咲かせたメンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜の前に、一人の若い女性の姿があった。
彼女は高校生のときにベルリンの陥落を迎え、地獄のベルリンを経験したのだった。忌まわしい事故にあった彼女は、多くの女性たちと同じように死を望んだ。

ところが、その年もメンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は見事に花を咲かせていた。あまりにも見事な満開の桜だった。彼女は思わず木に抱きついてしまう。
数多くの人々の不幸を見つめながらも、何事もなかったかのように堂々とたたずんでいる八重桜の木を見ていると、氷のように冷たかった彼女の心はすこしづつ溶けていった。彼女は懸命に花を咲かせる八重桜に生命の貴さを感じた。
何の目標も持てなかった彼女が、なんとか生きながらえたのはこの老木の八重桜のおかげだった。

ドイツでは、桜を特別に愛でる風習はない。おそらく、欧米の年度の切り替わりが9月であり、多くの出会いや別れが9月に集中していることが関係しているように思われる。
それでも、彼女にとって、メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は特別な存在だった。


満開の桜を見ると、まるで生命そのものを見るような思いがした。そして、生命は彼女にも息づいていた。彼女は不幸にも身ごもっていた。だれとも知れぬ、鬼畜のようなソ連兵たちとの子供だった。それでも、彼女は彼女でよかったと思えるようになった。
バラと桜とチューリップくらいしか興味のない彼女だったが、季節に春夏秋冬があるように、生命の形態もただ変わっていくだけなのに気づいた。咲いても、散っても、桜がいとおしく思えてくるのを感じた。

彼女は人に対しても、他人に対して抱えていたしこりを無くし、そうすることにより生きるのがずっと楽になった。彼女の死への願望は消えてなくなったのだ。何の罪もない子供を女手ひとつで育てていく。彼女は決心した。・・・なによりも子供は、そして自然は、生命の仮の姿だと彼女は思えるようになった。

「感動的な話だ」
「すばらしい人生、というやつだ」
「しかし、こんな話を捏造して、いったい何が言いたいのだ?」
「捏造ではない。実話だ」
「・・・本気で言っているのか?」
「俺は常に本気だ」
「常に本気で嘘をついている、ということか」
「違うくて・・・。常に桜には罪はない。人間が問題なんだっつうことを言いたいのだ」
「んで、「オチ」はなんだ?」
「だから、この話に『オチ』などない!」
「・・・・・・」
「言うのを忘れていたが、メンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜は毎年5月上旬にサクラしい」
「・・・・・・」
「もう一度言うぞ。毎年5月上旬にサクラがサ」
「俺、忙しいから帰るぞ」

オチはないけど、続きは明日。( ^ω^)・・・

2018年5月。一人の老人が今年もメンデルスゾーン・バルトルディ公園の老木の八重桜を訪れた。
お世辞にも裕福であるようには見えない彼は、慣れた風に杖を突きながら足を引きずって歩いて八重桜に近づいた。
やがて、彼は桜の前で膝をついた。
そして、桜の幹に両手をまわして、そっと桜を抱きしめる。
しばらくの間、彼はそうして桜の木の下に跪いていた。
そして彼は、一つだけ涙を落とした。

「5歳の親戚の子が見たことがあると言ったという写真がこれか?」
「3年前にドイツを旅行した時に撮った公園のスナップ写真だ。親戚の子は、この写真に写っている老人を自分の子供だと言っているんだ」
「ベルリン陥落の翌年に生まれたとして、この老人は76才か」
「母親の方も当時18才だったとすると、生きていれば94才。年齢的に話は合う」
「毎年、桜のころ、親子で桜を見ていたのかな」
「母親が亡くなるまでそうしてたんだろう・・・」

「それで、親戚の子がその母親の生まれ変わりだと?」
「彼女が言うことは、細かい年月日を除けばすべて史実と合致するんだ。ただ、一つだけつじつまが合わないのは、桜の木はその頃、ドイツにはなかったということだけだ」
「なに?桜がなかった???」
「・・・・」

どこまで書いたっけ?うまく、前の話とつながるかどうか確かめようがないけど、一応、完結させておきますね。


ドイツに桜がもたらされたのは、ベルリンの壁崩壊後、1989年以降のことだ。だから、1945年に八重桜がベルリンで咲いていたという話はつじつまが合わない。それでも、彼の話のすべてを否定する気には到底なれない。

「それで、この先どうするんだ?」
「別にどうしもしない。ただ、何気に撮った風景写真でも、そこにはいろんな人生のドラマが写される。人々の生きていく様子が記録されるってことだ」
「そうだな。・・・ん?・・・今、なんかカッコイイことを言ったような気がしたが、気のせいか?」
「そうでもない・・・」

彼の話を聞くと「輪廻転生」は実際にあるのかもしれないと思う。訪れたことがない国でも、旅行のパンフレットやSNSなどでの写真を見て、何となく懐かしさを覚えることがある。また、実際訪れると、心が落ち着く感覚になる場合もある。
人のDNAの配列は無限近くあるのだが、それでも有限だ。
偶然に多くの部分で類似のDNA配列を持つなら、たとえ目や髪の色が違ってたとしても、異国の知らない過去の記憶を持って生まれてきても不思議じゃない・・・。

母親一人、子一人。けっして楽な暮らしではなかったはずだ。写真の老人の丸くなった背中がそれを物語っている。
老人を探して親戚の子と対面させ、桜の話を聞いててみたいと思った。だがそれは野暮というもんだろう。第一、ドイツ語ができないから探しようがない。

彼の親戚の子に関しては、せっかく平和な時代に生まれ変わったのだから思いっきり人生を謳歌してほしいと思う。この世での幸せを願うばかりだ。

彼ら親子の人生に想像を巡らせば、涙なしにはいられない。
(´;ω;`)ウゥゥ 


~~~話が長いっすね。なんでオレって140字でまとめられないんだろう。やはり、コメント欄だけの男っす。
ということで、いよいよ明日から寒くなりそうです。急な夏と秋の入れ替わりで体調を崩さぬよう、ご自愛ください。

tetujin様 こんにちは

いやー ご苦労様です。お疲れ様でした。
これは筆の力もさることながら、詠む方も力量がいりますな…。
ちょうど、ベルリン、ハルトハイム、ヘッセンの話が出てくる小説を読んでいたところです。まだまだ勉強不足が否めません。
やっぱり、恐ろしいのは爺のダジャレ、いや生身の人間ですね。

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